体験談

---結婚式直前に乳がんが発覚.「大丈夫だから」と支えてくれた彼に感謝---


「検査の結果ですが…、乳がんです」。
医師からそう告げられたとき、私は31歳、結婚式を2週間後に控えて、将来の希望に溢れていたときでした。真っ先に頭に浮かんだのは、死への恐怖や胸を失う心配ではなく、「私は赤ちゃんを産めるのか?」。


治療後の出産は可能だと聞いてほっとしたのも束の間、再発を抑えるための薬の治療が5年間必要で、その間は妊娠してはいけないこと、さらに抗がん剤やホルモン療法の副作用で閉経し、 卵巣機能が回復しない可能性があると告げられました。
「赤ちゃんを産めないかもしれない…」。 結婚後すぐにでも子供が欲しいと思っていた私は、目の前が真っ暗になりました。


これから始まる乳がんとの闘病、子供も授かれないかもしれない…。 自分のこれからの人生がどうなっていくのかまったく分からない中、それでも「大丈夫だから」と言って受け入れてくれた彼と予定通りに結婚式を挙げた1カ月後、私は左胸の全摘手術を行いました。


今まで普通に仕事をして、遊んで、元気に過ごしてきたのに、突然「患者さん」と呼ばれるようになり、 肩を並べて一緒に仕事をしてきた同僚や、結婚して子どもを持つ友人たちから、取り残されたような気持ちになりました。


私に残ったのは真一文字に入った大きな胸の傷。涙が止まらず、病室に閉じこもって過ごした入院生活最後の朝。薄暗い空がだんだんと白んできて、きれいなオレンジ色の朝焼けに染まる様を見ながら、心に誓いました。
「この胸の傷は私の誇り。これからがんとともに生きていく。何も諦めることなく、私らしく」。


治療後の妊娠を希望して受精卵を凍結保存。
術後、将来の出産を強く希望するならと主治医が話してくれたのは、体外受精による受精卵の凍結保存。 それは未知の世界の出来事でした。将来子供は欲しい、でも…。

排卵誘発剤を使って体外受精をする場合、女性ホルモンに左右される私の乳がんの場合、再発リスクもゼロとは言えないと聞き、本当に悩み、葛藤しました。


そんな私たちに主治医は、「子供を持つかどうかは、これからの人生にとってとても大きなこと。絶対に欲しいと思うのなら」と、背中を押してくれました。


凍結することになった卵ちゃん。
すぐにこの世に誕生させてあげられないことを、「ごめんね」と思います。私たちの選択が正しかったのか、何をもって正しいと言えるのか、今でも分からなくて心が苦しくなる日もありますが、この日誕生した生命は、まぎれもなく私たちの希望の光です。


あれから3年。
私の5年間の治療は折り返し地点を迎え、今、復路を元気に走っています。
明日が来ることに感謝しながら…。


初めにしこりをみつけたのは、会社の健康診断の1週間前のことでした。そのときは、「ん?何かある?前からあったけ?乳腺症ってやつなのかな」と全く気に留めていませんでした。しかし、実際の健康診断当日、超音波の検査器具の動きがいつになく独特で違和感を感じ、胸騒ぎがとまりませんでした。
案の定、健康診断のフロアからはずれ、胸に3センチ強のしこりがあることを伝えられました。専門病院を紹介され様々な検査をした1ヵ月半の間は本当に毎日が不安でした。


毎晩、インターネットで乳がんのことを検索し、治療や手術などをひたすら調べさらに不安に陥る毎日を過ごしていました。検査を一通り終え告知をされたのは、2011年1月29歳になったばかりのことでした。泣いても笑っても、あっという間に手術、入院がきまり治療方針が決まっていきます。
入院は告知から2週間後で、初めての入院病棟は案の定おば様ばかりで、私は完全に最年少でした。


「29歳で乳がんになる」というあまりにもショッキングな状況に、
私はまだまだ前を向いて歩ける状況にはありませんでした。カーテンをしめ、同部屋のおばさまとも世間話をすることなく、ひたすら下を向きスマホをいじる。
おば様達の「なぜ自分は乳がんになったのか?」というトークに聞き耳をたて勝手に腹を立て涙を流す。術後の身体は負担が大きく、胸や腕の痛みは想像以上でした。


それと同時に手術が終わった後に待っている抗がん剤治療の不安と恐怖も大きくなるばかりでした。私の最大の悩みの種は、やはり抗がん剤治療における脱毛のことでした。
ごく一部の人にしか病気のことを伝えておらず、かつらをかぶる自分が全く想像ができないのです。自分のことをオープンに 話せるタイプでもなく、弱いところを見せるのが嫌いな私には到底耐えられないことでした。


抗がん剤治療は、AC4回、パクリタキセル12回と決定し、初回は4月の桜の時期でした。
休職しマイペースに気分転換をしながら化学療法に挑みましたが、抗がん剤の吐き気やしびれ、味覚障害の副作用は私の心をまたさらに闇深く、暗く辛いものにしていきました。
まつ毛もまゆ毛も一本もない、宇宙人のような自分をみると、「どうしてもっと早くにみつけられなかったのか」「なんで自分が乳がんになったのか」と自分を責め、
自分を嘆き悲しむ毎日が続き ました。そんなときに出会ったのが若年性乳がん患者のコミュニティpinkring、pinkringのフラダンス部でした。


当時の私は、治療の辛さ、病気になったことの憤り、その辛い胸の内を誰にも話せず本当に孤独でした。フラダンスの活動を通して、同じ病を抱える仲間をもてることができ、少しづつ自分らしさを取り戻すことができるようになりました。現在は術後2年半を経過しています。仕事をしてお酒を飲んで、友達とおしゃべりをして、おしゃれを楽しむ。
病気のことを完全に受け入れてはいませんが『人生には思いもよらないことが起こる』と思っています。
自分は一人じゃないと気付いた今は、家族や友人すべての人との出会いや経験に感謝しています。

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